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匿名さんの人生の折れ線グラフ

匿名さんの人生の折れ線グラフ

匿名さんの人生の平均点

74点
匿名さん(男性)32歳

匿名さんの人生グラフの出来事詳細


0~5歳期:80点
生まれたからすくすくと元気に育ち、0歳にしておどるポンポコリンでダンスをしていたらしい
1歳にして、「愛という名のもとに」をガン見して、浜田省吾の「悲しみは雪のように」のオーオーのところを歌っていたらしい
5歳から幼稚園の部活動でサッカーがあり、サッカーを始める
5~10歳期:80点
ほぼ毎日放課後は友達と遊び、学校が終わったら、スポーツ少年団でサッカーの練習をしていた、小1から同学年のチームではレギュラーを獲得し、フォワードやディフェンスなど色んなポジションで活動していた
勉強も頑張って、何回か100点を取ったこともある。
47都道府県のテストがあり、全問正解できたことがすごく嬉しかった記憶がある。
小学校の時はとにかくモテた(バレンタンは毎年10個ぐらいもらってた)
小5の時に初めて両思いになった子がいたが、友達優先な感じだったのですぐに愛想をつかれる(笑)
10~15歳期:80点
中学校の時は、引き続きで部活でサッカーをやり、2年生からAチームに入り、ちょこちょことスタメン入りする。(中学2年の時に県選抜に選ばれる)
監督がヤ○ザみたいな風貌で、全校指導員長の先生だったので、マジで怖かったし、今ではあり得ないぐらいどつき回すような先生だったが、自分は歴代で初めてどつかれなかったらしい(笑)
中3の時に、全学校と全クラブチームを含めた大会で、無名の中学校だったが県2位という偉業を達成させ、東海大会に出場。名古屋グランパスやジュビロ磐田のユースがリーグ内にいて惨敗だったが、クラブチームに勝つことができ、1勝できた時の喜びが今でも忘れられない思い出になっている。
中学校の勉強は、学年で200人中20位以内に入ったこともあり、すごく喜んだ記憶がある。常に40位以内にはいた。
中学校の恋愛は、中1の時に初めて付き合った子がいて、付き合うってこういうことかと学び、色々な
15~20歳期:90点
高校は私立だったが勉強の成績が良かったのとサッカー部の推薦もあり、学費を公立と同じぐらいの金額で進学した。
1時間程かかるところへ通学し、電車の中では音楽を聞いたり、テスト前は勉強したり、睡眠を取ったりしながら有効活用していたが、通勤通学ラッシュということもあり一回も座ることができない日も1週間に数回あり、その時は地獄のような思いで通学した。これでメンタルはかなり培われた(正直に、メンタルは強いと思う、ちょっとしたことでは挫けない)
部活は、放課後遅い時で20時頃までやったり、土日は練習や試合の日々だった。
高校時代は、部活と勉強に打ち込んだので、他に時間を使う余裕があまりなく、恋愛もあまりしてなく彼女も数人しかいなかった。
全く違う地域の高校へ進学したので、最初は友達がいなかったが、コミュ力は比較的ある方なので、すぐに友達もでき、部活が休みの日は友達とカラオケや友達の家に泊まった
20~25歳期:80点
大学も無事卒業し、晴れて社会人となり、上京をした。
東京で仕事をすることのワクワクと不安が入り混じった感覚は今でも覚えている。
入社し、すぐに2ヶ月の研修がスタートし、3ヶ月目からは未稼働顧客のリストをそれぞれに配布され、1年目はこの顧客のなかでどれだけ売上を取ってこれるかと新規顧客で稼げるかというタスクが与えられて、日々健闘した。
頑張った甲斐があり、同期の中で1位を獲得することができ、新人賞を獲得した。
この成功で一気に自信が付き、2年目も同期の中で1位を獲得することができた。
3年目からはマネージメントも任されるようになり、新卒営業社員をOJTすることになり、退職するまでに4人のOJTをしたが、内新人賞を獲得させることができたのは2名だった。
社会人になって、全く何もできないところからガムシャラに頑張り続けながらも、ロジカルに戦略を立てていけば、出来ることが分かり、自分の
25~30歳期:40点
仕事も慣れてきて、ポジションも中堅営業ぐらいにはなれたのだが、あることをきっかけに一気にモチベーションが下がる。
それは理不尽な人事評価による昇給額の少なさだった。
ノルマも達成し、OJTなど他業務もこなしていて、想定している昇給金額の半分ぐらいしか上がらなかった。
その理由が、まだ若いからという理由で、この会社にいても心身ともに腐っていくなと思い、転職を考える。いくつか転職先を探していたが、何かやりたい、ここで働きたいという思いが全く出てこず、一旦異動願いを出し、本社で働いていたが、横浜支店に配属になった。この時が26歳だった。
横浜支店の顧客は、東京都比べ仕事のスピードや要求がかなり少なくなり、時間に余裕を持ったスケジューリングができるようになり、1年じっくり今後のことを考えながら、仕事をしていた。
ある日、起業しようかなと思い、起業をするためにはどうしたら良いか調べ始める。
30~35歳期:70点
そして、30歳の時に物販で海外輸出をする事業を見つけ、コンサルスクールに入り、第2の収入の柱として取り組みを始めた。
コンサルスクールでは、同期が約50名程いて、卒業する時に4ヶ月間でトータル利益を75万を稼ぐことができた。そして同期の中で1位通過することができた。
そこから順調に月利益を伸ばすことができ、現在ではアベレージで40万程稼ぐことができている。
1年以上の輸出販売をやっていて、現在は一つのカテゴリーだけに絞って販売をしているが、今後は別のカテゴリーを販売しながら、新たな事業をスタートさせていく。

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