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かずささんの人生の折れ線グラフ

かずささんの人生の折れ線グラフ

かずささんの人生の平均点

47点
かずささん(男性)34歳

かずささんの人生グラフの出来事詳細


0~5歳期:50点
お笑いタレントのキム兄似の父とモーニング娘の安倍なつみ似の母の間に1988年7月29日に長男として生を享ける。
長男って事もあり、ぬくぬく、すくすくと教育を受ける。

幼稚園時代は「ドラゴンボール」にどっぷりとハマり、本気で「空を飛びならが、かめはめ波が打てるようになる」と思い友達とずっと「かめはめ波を打てる練習」(ただ声を大きく出すだけ)をしていた。
5~10歳期:40点
小学3年生から友達を一緒に流れでサッカーを始めるが、全くうまくならず、サッカーの練習に行くのも嫌になる。
本当はサッカーするよりも、家でポケモンをやりたかったが、練習を休む勇気もなく、毎日練習に行く日々が続く。
卒業するまで、レギュラーに選べれる事はなく、試合に行っても試合に出れないから、ずっと砂遊びしていたwww
勉強も居残りをさせられるぐらいできなかったが、学年委員会に立候補し、謎に当選して責務を全うしていた!!笑
多分、マラソン大会で学年3位になれた事が当選の理由だと思う。(練習を休むことができなかったから、体力だけ伸びていたwww)
10~15歳期:70点
中学生なり、なんだかんだでまたサッカー部に入る。
小学校の時に休まず練習に行っていたおかげ?なのか、中2の時から上級生の試合に出れるようになる。
その後、レギュラーも獲得し、トレセン(地区選抜的なモノ)にも選抜されて最終的には副キャプテンになるまでに成長する。
足も速かったので、モテた!告白もされた!
でも、恥ずかしいのと、勇気が持てなかったので、誰とも付き合うことは出来なかった。。。(その後、後悔することになる)
勉強は相変わらず全く出来なかった。
赤点ばかりで、いける高校も限られてしまった。
そんな状況でも、担任の先生に「この学校なら90%いける」と言われた学校に見事に落ちる。。
滑り止めに受けていた「男子校」へなんとか入る事ができて無事「高校生」になる事ができた。
15~20歳期:65点
無事に高校生になったのは良かったのだが、「男子校」という牢獄を経験する。
先生は厳しいし、すぐ叩くし、授業は面白くないし、校則はきついし、極め付けは「女子がいない」。。
この時に、中学時代に付き合っておけばと激しく後悔する。
入学して自動的に目標は「彼女を作って、童貞を卒業する」になっていました!笑(体感ですが、全校生徒がそう思っていたと思います。笑)
学校では出会いがないから、部活には入らず、アルバイトばかりしていた。
いま思うと高校生時代は、「自分から動かないと何も変わらない」と身をもって知る時代だったと思う。
そんな中、地元のバイト先で彼女を作る事ができて、無事ミッションをクリアする!(その子とは高校を卒業しても付き合っていた)
勉強の方は全然してなかったので、友達に誘われた服飾の専門学校へ行くことになる。

服飾の専門学校は「ビジネス科」へ入学し、「マーケティング
20~25歳期:20点
初めて社会人をスタートさせた企業は「ZARA Japan」のなんば心斎橋筋店だった。
20歳で右も左もわからずガムシャラに働いたのを覚えている。
めちゃくちゃ記憶に残っているのは、社員の見た目で、当時「EXILE」が流行っていたせいもあるのか、働いている男性の8割が黒かったし、僕も週2で日サロに通っていたwww
仕事が終われば、毎日働いているメンバーで飲みに行きその後、クラブをハシゴし寝ずに、そのまま仕事に行く日々を過ごした。
この時に仲良くなった6人は今でも定期的に集まっている。(なんだかんだ10年以上の付き合いになる)
今はみんな妻子を持っている事が不思議www
仕事はStockリーダーをやっていたが、面白さを全然感じていなかった。
仕事が面白くないので、当時、仲良かった6人の中の1人と「子供服の物販ビジネス」を始める。
HP作成、広告宣伝、買付と準備するが、失敗。30
25~30歳期:20点
勢いで会社を辞めたものの、ワーホリでは外国で生活できる資金がある程度必要だった。
そこで友達と出稼ぎで「DENSO」(名古屋の安城市)にある工場で勤務する。
この時に今の妻と付き合い始める。(大阪と名古屋の遠距離恋愛)
1年半ほど働き150万の資金を確保するし、「カナダのトロント」へワーホリと向かうことになるが、英語力がなさすぎて(当時be動詞もわからないレベル)絶望。
カナダに行く前に、中学英語の教材をひたすらこなす事とフィリピンは1ヶ月の短期留学をしてなんとか自分が伝えたい事は話せる状態にして向かう。

カナダのトロントへ着いた時の興奮は今でも覚えている。
街並み、街の匂い、文化に震えていた。
でも、その興奮はすぐ消えて寂しさに変わった。
英語が聞き取れないし、知らない場所、知らないルール、ホームステイ先は全然アットホームじゃない、、、
当時の彼女(今の妻)へ、寂し
30~35歳期:70点
令和元年に長男が生まれる。
家族との時間を確保する為に「転職」を決意。
同じ業界の会社へ転職するもの、ブラック企業で朝から晩まで働くスタイルと会社の理不尽なルール、上司の怒号が飛び交う毎日に将来性を感じずに、6ヶ月で退職し転職。
ここのでもまた転職することに妻と喧嘩。(離婚する手前まで話し合う)
なんとか和解して転職にも承諾をもらう。

次は建設業(消防設備の工事・点検等)の業界へ転職。
営業とメンテナンスを行う。
初めてノルマと残業ほぼなしの会社で勤務になり、家族と自分の時間を作る事ができる。
この時からお金の不安と会社員でいる不安が大きくなる。
教育費、老後問題、雇用の不安など自分が危機的業況にいることに絶望。
妻とも話し合い、経済的自立と自由を庄家の目標にする。
副業、資産運用、固定費の見直し、将来にかかる費用などを再度計算と設定し直す。
この時に会社に頼ら

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